ラフランスの季節になったので、お世話になっている人たちに数箱送った。第一陣。これから本格的なシーズンになるらしいのでいずれ地元のお店はラフランスだらけになるのだろう。
果物立県の山形では梨のことを「和梨」というようだ。少なくとも関東の感覚では、梨といえば日本の梨のことを指すから、特に和梨とは言わない。言語学には音韻論から発達した有標と無標という考え方があって(→標識の項目,wikipedia)、自然なものには標識がつかない=無標[unmarked]、特異なものには標識が付く=有標[marked]という考え方をする。例えば、エビは海に住んでいるものの方がより自然と考えられており、川には普通住んでいないと考えるので、川に住むものを「川エビ」と言って(最近食べてないなあ)、海に住むものを「海エビ」とは言わない。人間の脳は、世界をフラットに見ているわけではなくて、特殊と認知されるものに特殊なラベルを当てることで(特殊なラベルを当てることで特殊と認知されるともいえる)、認知活動の労力を最小限にとどめているわけである。
「和梨」という言い方は、(国内最大の採録語数の)日本国語大辞典にも採録されていない。おそらく、本来は限られた業界での言い方なのだろう。洋梨が日本に入ってきた段階で、外来種と区別するために作られた言い方と推測される。それが、果物の流通業などを通じて広まった言い方なのかもしれない。山形でこのような言い方が人口に膾炙するのは、流通業の他に、スーパーなどで日本の梨と同じ頻度で西洋梨を見ることがあるという状況が絡んでいるのだろう。つまりここでは日本の梨は関東その他で感じ取られているような自然さではなく、西洋梨と同程度に特殊と感じ取られていると考えられる(c.f.「西洋からし」に対して「和からし」とは言わない)。
こうした有標と無標の政治性(多い方が自然で当たり前)に対抗するために生まれたのが「政治的に中立な言い方」[politically correctness](→ポリティカル・コレクトネス,wikipedia)で、chairmanがchair-personと言い換えられたりするやつだが、まさか梨がポリティカリーコレクトで和梨って言われるようになったわけじゃないよね。
果物立県の山形では梨のことを「和梨」というようだ。少なくとも関東の感覚では、梨といえば日本の梨のことを指すから、特に和梨とは言わない。言語学には音韻論から発達した有標と無標という考え方があって(→標識の項目,wikipedia)、自然なものには標識がつかない=無標[unmarked]、特異なものには標識が付く=有標[marked]という考え方をする。例えば、エビは海に住んでいるものの方がより自然と考えられており、川には普通住んでいないと考えるので、川に住むものを「川エビ」と言って(最近食べてないなあ)、海に住むものを「海エビ」とは言わない。人間の脳は、世界をフラットに見ているわけではなくて、特殊と認知されるものに特殊なラベルを当てることで(特殊なラベルを当てることで特殊と認知されるともいえる)、認知活動の労力を最小限にとどめているわけである。
「和梨」という言い方は、(国内最大の採録語数の)日本国語大辞典にも採録されていない。おそらく、本来は限られた業界での言い方なのだろう。洋梨が日本に入ってきた段階で、外来種と区別するために作られた言い方と推測される。それが、果物の流通業などを通じて広まった言い方なのかもしれない。山形でこのような言い方が人口に膾炙するのは、流通業の他に、スーパーなどで日本の梨と同じ頻度で西洋梨を見ることがあるという状況が絡んでいるのだろう。つまりここでは日本の梨は関東その他で感じ取られているような自然さではなく、西洋梨と同程度に特殊と感じ取られていると考えられる(c.f.「西洋からし」に対して「和からし」とは言わない)。
こうした有標と無標の政治性(多い方が自然で当たり前)に対抗するために生まれたのが「政治的に中立な言い方」[politically correctness](→ポリティカル・コレクトネス,wikipedia)で、chairmanがchair-personと言い換えられたりするやつだが、まさか梨がポリティカリーコレクトで和梨って言われるようになったわけじゃないよね。
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